ゴトスポ記者の上田彰一朗がお届けする 嗚呼思い出の長居スタジアム訪問記!

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大阪市(大阪府)
ゴトスポ記者の上田彰一朗がお届けする 嗚呼思い出の長居スタジアム訪問記!

この記事は、2022年1月に行なった取材をもとに制作しています。その時点の大阪府下で推奨されていた新型コロナウイルス感染症対策(マスク着用など)を実施して行いました。

年が明けて早2週間が経ちました。
今年は2022年、ということはあの2002FIFAワールドカップサッカーが行われてから20年が経つということになります。
時の経つのは早いものですね。
私のスポーツボランティアの原点であったあの2002年大会を振り返り、それから20年、今の長居スタジアムがどうなっているのかを検証するため、1月の寒いある日に長居スタジアムを再訪してきました。

因みに先ほど、スポーツボランティアの原点が2002年大会と書きましたが、実はその5年前、ふれあいピック大阪(全国身体障害者スポーツ大会)で、私はボランティアとして長居スタジアムに訪れています。
開会式を当時の皇太子さま、雅子さまのすぐ後方で見ることができ、感激したのを覚えています。
その後、ワールドカップの大阪開催が決まり、直ぐさまボランティア応募をしましたが、募集を上回る応募があったとの事で、私の従事場所も直前まで運転手だったものが、観客整理になるなど、大会組織委員会も大変な状況だったことだと思います。
最終的に私はE4ゲートの観客整理の担当になりました。

2002年6月12日、大阪大会はナイジェリアvsイングランドで開幕しました。
続々かけつける観客に「Please show me your ticket」と声を掛け改札をしましたが、あれ程大勢の外国人を見たことは初めてでした。結果は0-0のスコアレス、試合が終わっても長い間イングランドの応援団は応援歌を歌っていました。
中一日の6月14日、この日は日本vsチュニジア、日本戦とのことで盛り上がりが半端なく、コロナ禍の今では考えられないような大声での声援が飛び交っておりました。試合は2-0で日本の勝利、1点目はミスターセレッソこと森島選手の得点でボランティアの女性は涙を流していたのを記憶しています。
残念ながら、日本代表は仙台でトルコに敗れたため、6月22日の3戦目はセネガルvsトルコになり、なおかつ、この試合はナイター試合だったので、観客の盛り上がりが心配されましたが、前の2戦と変わらない観客で盛り上がり、トルコが1-0で勝ちました。
ただ、試合終了が深夜になり、ボランティア待機場所の臨南寺を出たのはほぼ0時という状況でした。皆さんが無事に帰れたか、どのように帰ったのかが気になっておりました。

当時のことの振り返りはさておき、現在の長居スタジアムにやってきました。
競技場担当職員、松永さんの紹介のもと、競技場を見学させていただきました。
まず気付いたことは、今は長居スタジアムという名称ではなく、ヤンマースタジアム長居という名前になっているという事です。いわゆるネーミングライツというものですね。セレッソの前身、ヤンマーが命名権を取得してこのような名前になっているそうです。
ただ、当のセレッソはホームグランドとしてヤンマースタジアムではなく、昔の長居球技場、今のヨドコウ桜スタジアムで試合を行っているとのことでした。

昔の長居球技場はコンクリート造りの殺風景なたてものでしたが、綺麗になりましたね。
ヤンマースタジアム長居の場内に入りました。
ピッチは昔と同じくよく整備され、緑が鮮やかでした。メインスタンドのOSAKAの文字は昔は無かったように思います。
ピッチからE4ゲートに向かう途中にワールドカップのメモリアル展示がありました。
エレベーターで二階に上がり、正面にはこんな表示もありました。
開催地の表示板、今も伝統は受け継がれていますね。

思い出のE4ゲートにやってきました。
ここで私は観客整理というか、いわゆる切符もぎりをしていました。
20年振りの再訪でしたが、当時と面影は全く変わらず、記憶通りの風景がそこにはありました。シートの形、並びなども全く変わった様子も無く、綺麗に残っていたのはある意味驚きでした。

最後にお願いして、ボランテイアの記録に残っている写真の場所を案内して頂きました。
ボランテイア活動の記録、85ページに集合写真があります。
この写真の後方に私も写っていますが、お願いして同じ場所で一枚撮っていただきました。
何か20年タイムスリップした気持ちになりました。あの当時に同じく活躍されていた皆さん、その後どうされているんでしょうか?
あの2002年に生まれた、わが娘も今年20歳になります。時の流れを感じずにはいられませんでした。

担当の松永さんとお別れして、近隣の施設も訪れてみました。
ボランティア待機場所だった臨南寺です。ここは当時ボランティア活動場所として使われました。ボランティアウェアを着用した人々で、場内は壮観でした。
第3戦、試合後に集合した時は深夜11時を過ぎていました。疲れた中にも充実感があった事を覚えています。今でも当時の面影がありました。

長居スタジアム内にはユースホステルもあります。
公園内には長居植物園もあります。
コロナが落ち着いたら、是非再訪したいものです。

私はこの2002年から5年後大阪で行われた世界陸上でもボランティアを経験しています。その時は場内ではなく、場外の担当で、ひたすらペットボトルから紙容器への移し替えをしていました。暑い時期で半端ない量だったことを覚えています。
このコロナ禍を乗り越えて、次回国際大会がここ長居で行われることを切に願います。
もし、またワールドカップの大阪開催があれば、再びボランティアに参加することは言うまでもありません。
その時を夢見て・・・

(協力:ヤンマースタジアム長居 松永大和さま)

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上田 彰一朗
投稿者紹介

上田 彰一朗

スポーツボランティアとして色々なイベントに参加して来ました。FIFAワールドカップサッカーやふれあいピック、世界陸上の他、世界柔道、世界卓球やマラソン、ゴルフトーナメント大会などに参加した経験があります。WMGも今までの経験を活かしてぜひ参加できればと思っています。