原 博之 さん

代表、常任理事、審判としてサッカーの町・堺を盛り上げる

大阪府堺市の「J-GREEN 堺」で8月中旬に開催された、平成28年度堺市種目別優勝大会トーナメントに出場した原さん。所属チーム代表、堺サッカー連盟常任理事、審判委員会委員長の3役を担いながら、「サッカーの町・堺」を支えている。

試合が無くても大会をサポート

真夏の太陽が天然芝を照らす。この日の大阪の最高気温は36.9℃。青空に入道雲。鮮やかな緑と青と白が彩るピッチに、赤と紺のユニフォームに身を包んだ両チームが躍動する。「堺フェニックス」と「ヤングタウン」の決勝戦。所属する「登美丘クラブ」がAブロック初戦敗退に終わった原さんは、決勝戦を審判委員長・常任理事の立場で、ピッチサイドで見守った。「私のチームは若手主体で勢いのある相手(FC DREAM)に負けてしまいましたから。前半は良かったのですが、いかんせんスピードが違うので後半はやられてしまいました。今日はチームの試合はありませんが、大会のサポート役に徹します」と原さん。試合前には副審のフラッグを入念にチェックし、優勝チームへのトロフィーなど表彰式の準備に余念がない。決勝戦が無事に終わると安どの表情を浮かべながら、ピッチを後にした。

堺市がサッカーの町と言われるように

競技を始めたきっかけは「三菱ダイヤモンド・サッカー」。世界のサッカーがほとんど放送されていなかった時代に、1968年から放送されていたサッカー番組だ。「西ドイツ代表MFギュンター・ネッツァーが一番好きな選手でした」。中学入学と同時にサッカー部に入ると、高校でも続け、卒業後は高校OBで構成される登美丘クラブに所属。攻撃的MFとして現在まで45年間サッカーに携わっている。サッカー部を中心とした「ミニ同窓会」には、今では硬式テニス部、ラグビー部なども加わっている。「同級生だけで15人ほどミナミで集まりますよ。周囲から『ずっと続けられることがあって良いね!』と言われますね」。22歳からクラブ代表を務め、20代半ばで審判員の資格を取得。今ではクラブ代表、堺サッカー連盟常任理事、審判委員会委員長の3役を担いながら、堺市のサッカーを盛り上げている。「堺市がサッカーの町と言われるように、堺市での大会はもちろん、堺のチームはきっちりとした試合を行っていると感じてもらいたいですね」と笑った。

原さんに聞く

体作りの秘訣は?

食事面では野菜やサラダを積極的に食べるようにしています。特に、油ものが続かないように意識しています。

審判として大切なことは?

人間ですから思うところもありますが、私情を挟まずに審判として1試合通して同じ基準で笛を吹くことですね。

最近の趣味は?

昨年から展覧会や博覧会にハマっています。つい最近も「始皇帝と大兵馬俑」を見に行きましたが、凄く良かったですよ。

ワールドマスターズゲームズ2021関西について一言

5年後となると60歳を超えていますね。堺サッカー連盟として、どのような形でかかわることができるか分かりませんが、出場するなら審判より選手としての方が良いですね(笑)。

取材こぼれ話

取材日のこの日はリオ五輪のサッカー男子決勝戦当日。地元ブラジルがPK戦の末にドイツを破り、初優勝を飾った。6万3707人と超満員のマラカナンが熱狂の渦に包まれる-。92年のJリーグ発足を機に、日本のサッカー環境は激変した。サッカー歴45年のきっかけとなるドイツ(旧西ドイツ)の優勝とはならなかったが、「中学時代には、日本でもサッカーがこんなに注目されるようになるとは…。嬉しいことですね」と語る原さんの目は透き通っていた。