播本 雄輔 さん

ボウリングのおかげで若い人からパワーをもらえる

京都府宇治市のキョーイチボウル宇治で7月17日に開催された、平成28年度「夏季京都府シニアオープン競技大会」に出場した播本さん。8月10日に72歳-。年齢の衰えを感じさせない計算され尽くしたピンアクションで高得点を叩きだし、会員の部で見事に3位入賞を飾った。

競技への情熱が早期退院に

15ポンド(約6.8㎏)のボールから派手なピンアクションが生まれる。お昼休憩をはさみ、B組2回戦へ。1回戦の遅れを取り戻すべく、優勝候補の一角・播本さんは、徐々に本領を発揮。第1フレームから3連続ストライクのターキー発進で波に乗り、小さくガッツポーズ。レーンの特徴をしっかりと捉え、その後もストライクを連発し、終わってみればこのゲームは271点のハイスコアで締めた。マイボールを自在に操る術は、まるで匠の域。計9ゲームを投げ切り、アベレージ221.3の合計得点1992で会員の部3位入賞を果たし、表彰台で笑顔を見せた。「今日は取材や撮影もあるから気が抜けませんよ」と播本さん。今年1月に雪で転倒し、右大腿骨を骨折してボルト2本を入れる手術を経て入院生活を余儀なくされたが、周囲の励ましとボウリングへの情熱により、当初の見通しを大幅に短縮する6週間で退院。「何よりもボウリングがしたかったからね。試合中は痛みを感じませんよ」と爽やかに振り返った。

仲間からのお誘いが嬉しい

ボウリングとの出会いは偶然か必然か-。名門・日大豊山高校の水泳部に所属したが「記録の伸び悩みに直面」し、高校3年時から地元東京・千駄ヶ谷のボウリング場に通うようになった。「たまたま近所にボウリング場があったし、ピンが狙い通りに飛びストライクになる爽快感が魅力ですね」。日大時代は東京のリーグ戦に出場し、頭角を現すようになった。ボウリングブーム真っ只中の1960年代。プロ化の流れから、プロ選手への道も打診されたが「既に内定を頂いていましたし、趣味は趣味のままで大切にしたい」との思いで京都信用金庫への就職を選択した。就職後すぐにボウリング部を創設し、定年退職するまで部を牽引した。「ボウリングのおかげで、若い人と接する機会があり、パワーをもらえる。信用金庫時代の部員やボウリング仲間からのお誘いは本当に嬉しいですね」と語った。

播本さんに聞く

体作りの秘訣は?

播本

妻と相談して、家にジムを作りました。8畳間に筋トレマシンや、ランニングマシン、エアロバイクなどを揃えました。いつでも出来ると思うと、なかなかやらなくなってしまいますが(笑)。好きな食べ物はお肉とお寿司です。

ハイスコアへの鍵は?

播本

レーンに塗られているオイルの状況を把握することですね。刻一刻と変化しますし、ボールの曲がり具合も変わりますから。レーン毎の攻略法を早めに掴むことが高得点への鍵になります。

思い出に残る大会は?

播本

アジアシニア選手権大会ですね。1997年に初出場してから5大会連続で何かしらの種目で優勝していますから。

ワールドマスターズゲームズ2021関西について一言

播本

8月10日で72歳になります。チャンスがあれば是非チャレンジしたいですね。

取材こぼれ話

背筋がピンと伸び、70歳を超えているとは思えない播本さん。信用金庫職員として高度経済成長、バブル、バブル崩壊など激動の時代に、様々な部署で挑んだ。「良い時もあれば悪い時もありますよ。ただ、何事もやる以上は勝ちたいとの執着心、強い気持ちは誰にも負けませんよ」とキッパリ。関係者によると、地方遠征時にはワンボックスカーを自ら運転し、仲間と一緒に向かうとのこと。古き良き時代の筋が通ったリーダーシップが、播本さんから漂っていた。